Tさん(豊中市在住)

私の乳癌は、年に一度、主人と共に受けていた健康保険組合の検診(マンモグラフィ)によって見つかりました。検診の翌日に、検診センターの医師から呼び出しの電話を受けるその時まで、私にとって「乳癌」とは、自分とは全く無縁なものという何の根拠もない自信を持っていました。

センターの医師から渡されたフィルムと紹介状を手に、帰り道に立ち寄った本屋の「癌」のコーナーの前で、本を手に取ることもなくただ呆然と長い間立ちすくんだ時、それこそ真っ暗やみの深い穴に落とされたようでした。

帰宅後、「何か」に突き動かされ、必死にインターネットで病院を探しました。
今思えば、あの時の「何か」とは、ただ「死にたくない」その一言だったような気がします。

乳癌について、まるで無知だった私がわずかながら得ていたキーワードは、「標準治療」と「センチネルリンパ節生検」で、その2つと自宅から近いこと・・・結果たどりついたのが「相原病院乳腺科」でした。

私にとっては暗闇に光が見えた瞬間で、すぐに予約の電話を入れて、翌日に相原先生に初めて診て頂きました。

とてもわかり易い説明の中、「ほぼ悪性」とのことで「しこりの細胞を直接とりましょう」と言われた時、わかってはいたものの、まだ自分が「癌」だということを受け入れられず体が震えて「今でないとダメですか?」と咄嗟に言ってしまったのですが、先生は「いえいえ、次回でも構いませんよ。」と穏やかに言って下さいました。でもその後不思議と体の震えが止まり、「やっぱり今日お願いします。」と言ったあの時から、私は乳癌と向き合い始めたのだと思います。

採った細胞を調べた結果、悪性であることが確定してからも、もう体が震えることもなく相原先生なら安心して全てお任せできると確信し、手術日を決め、検査も前向きにこなせていけました。

ただ、左に癌があるとわかってから、体の左側のいたるところに痛みや違和感があり、「他にも出来ているのでは?」と先生にお尋ねしたところ、癌を告げられた方の多くが経験することらしく、その言葉を聞いたその日から痛みも違和感も嘘のように消えました。

手術はほとんど痛みを感じることもなく退院の日を迎え、こんなに簡単に済んでいいのかと思っていましたが、乳癌は手術をすれば終わりではありませんでした。

手術の後、1ヶ月半程放射線治療に通い、その間ふと気力が抜けてしまうこともあったのですが、そんな時に相原先生とはまた違ったところからいつも支えてくださったのが、リエゾン精神看護専門看護師の早川さんでした。「ほぼ悪性」と聞かされたときは私の背中にそっと手を添えて下さり、治療の合間には
「すごく頑張ってる自分をたくさん褒めてあげて。」と励まして下さり、どんなに心強かったことかと本当に感謝しています。

乳癌になってから、今まで当たり前だったことがそうではなくなり、「生かされていること」に心から感謝できるようになりました。季節が巡るのを肌で感じること、花や草木までまるで違って見えるようになりました。
同病の方々との素晴らしい出会いもあり、多くのことを学びました。
乳癌になったからこそ気づいたことであり、知り得たことです。

私はホルモン治療がまだあと4年以上続きます。頭の隅では時折「再発」や「転移」のことがありますが、それよりも大切にするべき時間にちゃんと向き合って生きたいと思います。

心から信頼できる主治医に巡り会えたことが、今私が治療に前向きになれる源だと本当に感謝しております。