PLKさん(豊中市在住)

去年の9月の連休、早朝にテニスをしてシャワーを浴びている時、脇の下にピンポン玉のようなしこりが手にあたった。41歳だった。しこりの場所が、以前乳がんの検診で見てもらったときに必ずチェックするところだったのでいやな予感がした。

仕事の都合をつけ、二日後に病院に行った。案外軽い気持ちで行ったのに、細胞診をされた時には「悪いんかな?」とショックだった。一週間後の検査結果を聞きに行く時、まだどこか「大丈夫、たいしたことないんだ。」と自分に言い聞かせていたところがあったから、仕事の合間に一人で聞きに行った。

そこで聞いたのは「あのしこり悪性でした。」頭が真っ白になった。「子どもはどうなるんだろう?」最初に浮かんだことだった。

その日午後から専門外来に来られていた相原先生に診ていただいた。何がなんだかわからないうちに診察が進んでいく私に「今、頭が真っ白でしょう?でも大丈夫ですよ。」と言われ、とても安心できた。

その日一人で受診していた私を心配した友達が、あとで病院まできてくれたのだが、友達にも先生は丁寧に説明してくださった。普通は家族にしか説明しない場合が多いと思うが、先生は私がいいならということで説明してくださいました。私はその時「この先生にお願いしよう。」と決めた。

先生の患者の気持ちを大切にしてくださる姿勢に信頼を感じたからです。先生は、セカンドオピニオンを受けることも説明されましたが、もう自分の中では決めていたのでセカンドオピニオンを受けることはしなかった。

初めて相原病院に転院して受診した日、専門看護師の早川さんの「あなたが悪くて病気になったんじゃないんだからね。あなたは最善を尽くしているのよ。」という一言に初めて泣いた。

私はがんを宣告されてからその日まで泣いたことがなかった。気がはっていたところもあるが、めそめそして家族に心配をかけたくなかった気持ちが強かったと思う。でも早川さんの一言に「ああ無理しなくてもいいんだ。ここにも気持ちを分かってくれる人がいる。」と思えた。この病院に来てよかったと思えた。

実際に入院、手術をしてみて、スタッフのきめ細かいケアに楽しい入院生活になった。看護師さんたちが、事務的に回診するのではなく、一言二言の何気ない会話が、ベットの生活にはありがたかった。先生や早川さんが病室を朝、夕と覗いて下さるのが待ち遠しかったし、おしゃべりが楽しかった。このスタッフと患者との距離の近さが、今まで行った病院にはないものだった。そしてこのスタッフと患者の距離の近さは、患者同士のつながりを作る手助けになっているなと感じた。

入院中、次の抗がん剤治療がどんなものなのか気になっていた。抗がん剤のイメージは「しんどくて、大変なもの」と漠然と不安だった。しかし、抗がん剤治療に来ている患者さんとスタッフの会話に自然と入って、自分の不安な気持ちを言うことができた。そこで同じ立場の患者さんから「大丈夫よ。」と言ってもらえたことは、次の治療にとても励みになった。

今抗がん剤治療を続けているが、時々副作用でしんどくなっても励まされるのは、病院で仲良くなった友達、「がん友」だ。お互いしんどい気持ちは同じだから「一緒にがんばろう。」って言われると、大きな励みになる。髪の毛が抜けるのもどんなのかわからなかったが、入院中にがん友が、かつらや髪の毛が抜けた頭も見せてくれた。明るく話してくれる様子に不安はなくなった。

こんなやり取りの橋渡しをしてくれたのは、病院のスタッフだった。
新しい人間関係ができて、今は治療中だけど楽しくすごしている。

最後に、私は病気になって「生きる」ということを真剣に考えた。病気になる前は「生きる」ということは「自分のために生きること」だと思っていた。自分が好きなことをやり、毎日忙しく、元気でいることは当たり前のことだと思って過ごしてきた。

でもこの病気になって、抗がん剤の副作用で体が思うように動けなくて、空を見て暮らしていた時、健康でいることの有難さ、自分の周りにいる人たち・・家族、友達、同僚の温かさをひしひし感じた。

特に、いて当たり前になっていた夫は、私が動けなくて何もできない時、家事をすべてやってくれ、普段と同じように接してくれ、私に負担をかけないようにさりげなく気を使ってくれたことに感謝している。

今私は、「生きる」ということは「自分が大切に思っている人たちを悲しませないために生きる」ということだと思っている。この病気と上手に付き合いながら、人を大事に思いながら生きていきたい。